
別当を務めたのは東学院の子、東学坊でした。これが現在の宮司山﨑家の祖先です。江戸時代中期には藩命により新社殿が造営され、歴代の藩主の尊崇が厚く、代参により武運長久を祈願させたといいます。町の中心部にありながら、涼しく清らかな風が吹く境内では、町内外から参拝者が絶えないほか、近年は旧会津藩にゆかりのある多くの人びとが、旧会津藩士で藩校日新館館長であった杉原凱の墓を訪ねています。二日町の取締りを行っていた川村惣太郎が、町民の減税と市日の開設を命をかけて直訴し、これを許されたことを称え、死後町民有志が境内に建立した市神社は、商売の神様として商業者からの信仰が厚い神社です。
絵馬殿には江戸時代を中心に多くの絵馬が残されているほか、南部藩お抱え力士の墓も見つかるなど、三戸町のさまざまな歴史を伝える神社として注目を浴びています。「明治天皇御巡幸の図」をはじめとした貴重な文化財も所蔵し、地域の歴史を伝える神社として重要な役割を果たしています。また、境内や拝殿など各所に美しいステンドグラスを配しており、ステンドグラスお守りや独自の猫のキャラクター「みこにゃん」「キャサリン」のイラスト入り御朱印等を求めて多くの人が訪れます。御利益として恋愛成就も女性が愛を運ぶきっかけになっています。