社殿左に、商売の神として広く信仰される境内社「市神社」(祭神川村惣太郎)があります。

江戸期、二日町(奥州街道三戸宿)の検断を務めていた川村惣太郎は、人々の切なる声を聞きいて窮乏を見かね、石に 腰掛けて 日々思案し、 単身直訴を決断します。

盛岡 『中の橋』付近に潜伏すること十数日、藩主の通行中 に直訴し、 捕らえられ投獄 (1711~1715) されました。 しかし、その哀願の理由が人々を救済することにあった ことが認められ、 税は軽減される結果となりました。

更に、 経済の更正を図るため今に続く市日の開設を成し遂げました。

藩主に町民の減税と市の開設を直訴。藩主の許可が出たことを称え、惣太郎の没後に町民有志により境内に建立されました。

川村惣太郎が腰掛けた思案の石に腰掛け、心静が に祈念すれば願いが叶うと 言われています。