400年の歴史 三戸大神宮の概要
三戸大神宮は天照大御神を祭神とし、地域で「神明さま」「東北のお伊勢様」として親しまれてきました。ご利益は万物に光を注ぐ太陽神から、あらゆる願いを聞き届ける「願望成就」で、恋愛成就もこの中に含まれます。
かつては神明社、神明堂とも呼ばれており、箸木山の八畳屋敷に鎮座していました。社殿は万治元年(1658)に町内有志によって建立されましたが、参拝客の増加に伴い元禄元年(1688)、南部家の家臣である藤枝宮内の屋敷(毘沙門館)を奉納し、建立されました。
三戸大神宮から
お知らせ
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拝殿ステンドグラス完成お披露目会、朗読会を開催しました
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9月16日、拝殿ステンドグラス完成お披露目会を開催します。
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社殿 灯篭ランプ「紅灯(くれなゐ)」完成記念
三戸大神宮の見どころ
ステンドグラス
神社入り口の一対の灯籠から、出世の階段と呼ばれる100段の石段を登ると再び、一対の灯籠が出迎えてくれ、夜間には火が灯り、周囲を美しく照らし出します。
手水舎の上部にも2023年、新たにステンドグラスを組子細工と併せて配しました。また、拝殿正面の左右一対の和風の大型ステンドグラスと、拝殿内の上部に配したそれぞれ単色のステンドグラスと、3人の作家の個性が生きた作品の共演を見ることができます。
繪馬殿
三戸大神宮の絵馬殿には、江戸時代を中心に多くの絵馬が残されています。大型絵馬が多いことで有名であり、貴重な文化財を多数所有しています。 柳生心眼流兵法奉納(152×100) 柳生心眼流剣術師範で、 幕末のころの三戸地方で最も強い剣士だったと いわれる柳軒松尾市之進は 六日町に住み、多くの門弟を育てました。 請われて田子、鹿角方面にまで剣術指南に赴くこ ともあったといい、絵馬は、門弟二十四人が 牧林木和名を連ね、武技上達を祈願して奉納したものです。
杉原凱先生の墓
斗南藩士(旧会津藩士)日新館学館領。天保14年(1843年)に日新館学館領に任じられ医学寮師範補助、木草科教授などを務めた杉原凱先生の墓が境内に置かれています。
杉原先生は戊辰戦争後は三戸に居住して私塾を開いて多くの有為な人物を輩出、文化3年(1806年)出生。明治4年2月14日死去しました。三戸町の各所に、福島県会津地方とのつながりや痕跡を見ることが出来ます。
市神様
社殿左に、商売の神として広く信仰される境内社「市神社」(祭神川村惣太郎)。
江戸期、二日町(奥州街道三戸宿)の検断を務めていた川村惣太郎は正徳年中(1711頃)、重税に苦しむ三戸の住民を救うため、処罰覚悟で盛岡への直訴をしはた川村惣太郎を祀っています。三戸の市日の創設者でもあり、三戸の繁栄に寄与。藩主の許可が出たことを称えて、惣太郎の没後に町民有志により境内に建立されました。
授与の品 縁起もの
御守り、お札
御朱印、御朱印帳
御祈祷
アクセス
東北新幹線八戸駅から 車で約45分
青い森鉄道三戸駅から 徒歩約30分
車で約10分
東北新幹線二戸駅から 車で約30分
ご挨拶
禰宜 山﨑貴行
遠く伊勢神宮から天照大御神さまのご分霊がこの地に祀られ、400年以上の歴史を紡いできました。 古い文献などから、その時代々々で厚い崇敬を受けてきたことが伺えます。
また、決して敷居の高い神社ではなく“神明さま”とあまねく親しまれ、大祭はもとより、四季折々に趣向を凝らした出し物が奉納され、浮世を忘れる賑やかな聖地でした。 私は社寺も現代に合わせて変化しなければならないと思っております。
ご参拝の方々が、大神様のご加護を受け、楽しく笑顔になれる神社を目指します。